捨てる努力
うん十年前、失業したことがあった。
誰とも会わず誰とも会話をしない生活がしたくなった。
誰とも会いたくないから、一人の時間がどれだけあっても足りなくて足りなくて
欲しくて欲しくてたまらなかった。
気が付けば1か月で100本の映画を見ていた。
けれど1か月誰とも話さずに生活することはできないと分かった。
ガスの付きが悪くなり、ガス屋さんに来てもらう。
夜中に急に甘いものが欲しくなりコンビニに行くといつものお兄さんが「こんばんわ!」と挨拶をしてくれる。
宅急便屋さんが友人からの届けものをしてくれる。
大家さんが台風が来るからと様子を見にきてくれる。
3か月目くらいから仕事をしない自分に罪悪感を抱くようになった。
自分が遊んでいる間に働いてくれる人がいるお陰で生活ができているのでは?
お金があっても 一人で生きていくことはできないことに気付かされた。
自分がやりたくない職業を選んでくれる人がいるから何不自由なく暮らせる。
そんな当たり前のことが忙しく働いていた時は分からなかった。
職場にも、いろんな役割の人たちがいてくれるから 自分のお給料がいただける。
会社とは新入社員が入ってくれるお陰で
他のスタッフが今まで取り組めなかった仕事に挑戦できる機会が巡ってきたりする。
けれど、経験上新入社員が入ってくると自分の場を脅かされると感じる人は本能的にいじめ(追い出す)現象がどうしても起きてしまう。
または異質な性格であったり、個性的(大多数の人と異なる)だと毛嫌いしたりする。
最悪な場合はそれが相手に伝わってしまう。
最近そんな時思う。
自分一人で何もかもできるのであれば表情に現れてしまうのも1歩譲ってあり。
スタッフ(新人)さんが勤務する全ての時間をカバーできるのなら百歩譲ってあり。
自分一人で会社を背負っていると自負するなら千歩譲ってあり。
大昔は何回言っても同じミスをするスタッフを怒って叱っていた。
すみません、ありがとうございます、お願いします、が言えない人にも怒っていた。
受け身で自分からは何も発信しないのに、頭だけ先走り能書きだけ言う人にも腹が立って仕方がなかった。
失敗を恐れ安全地帯にいる人が、挑戦する人を批判すると次の日、会話もしたくないくらい引きずって怒っていた。
今にして思えば
そんな風にスタッフを思う自分が一番仕事仲間のありがたさを理解できていなかった。
失業期間が教えてくれた。
新しい施設に入社したある日、部下があるスタッフのことを
「あの子がいるから私の仕事が進まないんです!勤務時間をズラしてください!私はあれもこれもこなしているんです。あの子はあれしかできないんです!他の人もみんな言っています」
「人は何も言わないけれど、人のことを言う分だけ、あなたのことをその倍見てますよ」
思わず出た言葉だった。
以降、何回使ったことか。
自分にできること
人のためにできること
『それだけ』を考えて仕事をしている人が多ければ多いほど、仕事仲間(役職、部署関係なく)を思いやれる職場に自然となっているのだろうと思う。
今引っ越しした機会に、断捨離をしている。
10年使っていないものは捨てている。
けれど捨てると選択することは、思いの外揺るぎない意思が必要だった。
いろんな感情に執着をしていると、物も捨てられない。
自分に責任が持てないところの人の判断は無い方がいい。
断捨離をしながら、人に対する思いも余分なものは持たない方がいいと過る。
思いやりを持って相手に干渉しない心。
無関心とは雲泥の差の心。
何かを捨てないと持てない心。
その何かは 人それぞれなのだろう。
そういう施設に近づけるために私にできること・・
仲間の力なくしては一人では絶対にできない。
いつもどんなに遠回りしても結局そこに辿り着く
いらない心が無いか捨てる努力をしていきたい。
誰とも会わず誰とも会話をしない生活がしたくなった。
誰とも会いたくないから、一人の時間がどれだけあっても足りなくて足りなくて
欲しくて欲しくてたまらなかった。
気が付けば1か月で100本の映画を見ていた。
けれど1か月誰とも話さずに生活することはできないと分かった。
ガスの付きが悪くなり、ガス屋さんに来てもらう。
夜中に急に甘いものが欲しくなりコンビニに行くといつものお兄さんが「こんばんわ!」と挨拶をしてくれる。
宅急便屋さんが友人からの届けものをしてくれる。
大家さんが台風が来るからと様子を見にきてくれる。
3か月目くらいから仕事をしない自分に罪悪感を抱くようになった。
自分が遊んでいる間に働いてくれる人がいるお陰で生活ができているのでは?
お金があっても 一人で生きていくことはできないことに気付かされた。
自分がやりたくない職業を選んでくれる人がいるから何不自由なく暮らせる。
そんな当たり前のことが忙しく働いていた時は分からなかった。
職場にも、いろんな役割の人たちがいてくれるから 自分のお給料がいただける。
会社とは新入社員が入ってくれるお陰で
他のスタッフが今まで取り組めなかった仕事に挑戦できる機会が巡ってきたりする。
けれど、経験上新入社員が入ってくると自分の場を脅かされると感じる人は本能的にいじめ(追い出す)現象がどうしても起きてしまう。
または異質な性格であったり、個性的(大多数の人と異なる)だと毛嫌いしたりする。
最悪な場合はそれが相手に伝わってしまう。
最近そんな時思う。
自分一人で何もかもできるのであれば表情に現れてしまうのも1歩譲ってあり。
スタッフ(新人)さんが勤務する全ての時間をカバーできるのなら百歩譲ってあり。
自分一人で会社を背負っていると自負するなら千歩譲ってあり。
大昔は何回言っても同じミスをするスタッフを怒って叱っていた。
すみません、ありがとうございます、お願いします、が言えない人にも怒っていた。
受け身で自分からは何も発信しないのに、頭だけ先走り能書きだけ言う人にも腹が立って仕方がなかった。
失敗を恐れ安全地帯にいる人が、挑戦する人を批判すると次の日、会話もしたくないくらい引きずって怒っていた。
今にして思えば
そんな風にスタッフを思う自分が一番仕事仲間のありがたさを理解できていなかった。
失業期間が教えてくれた。
新しい施設に入社したある日、部下があるスタッフのことを
「あの子がいるから私の仕事が進まないんです!勤務時間をズラしてください!私はあれもこれもこなしているんです。あの子はあれしかできないんです!他の人もみんな言っています」
「人は何も言わないけれど、人のことを言う分だけ、あなたのことをその倍見てますよ」
思わず出た言葉だった。
以降、何回使ったことか。
自分にできること
人のためにできること
『それだけ』を考えて仕事をしている人が多ければ多いほど、仕事仲間(役職、部署関係なく)を思いやれる職場に自然となっているのだろうと思う。
今引っ越しした機会に、断捨離をしている。
10年使っていないものは捨てている。
けれど捨てると選択することは、思いの外揺るぎない意思が必要だった。
いろんな感情に執着をしていると、物も捨てられない。
自分に責任が持てないところの人の判断は無い方がいい。
断捨離をしながら、人に対する思いも余分なものは持たない方がいいと過る。
思いやりを持って相手に干渉しない心。
無関心とは雲泥の差の心。
何かを捨てないと持てない心。
その何かは 人それぞれなのだろう。
そういう施設に近づけるために私にできること・・
仲間の力なくしては一人では絶対にできない。
いつもどんなに遠回りしても結局そこに辿り着く
いらない心が無いか捨てる努力をしていきたい。
コメント
私に出来ることを、これからも見つけていきたいです。